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神を畏れる(恐れる)ものの幸い 聖書箇所:詩篇112篇 [新改訳] 詩篇 [NKJV]
Psalms 今年、最初のメッセージは詩篇から取り次ぎます。タイトルを「主を(畏れる)恐れるものの幸い」としていますが、詩篇には以外にも、「神を信じる」という表現はそれほど多くありません。その代わりに、「主を恐れる」という表現がなされます。新共同訳では、「恐れる」を「畏れる」と翻訳しています。それは、単に神の偉大さに圧倒されて恐れを感じるという意味だけでなく、人格的な神を尊び、畏れかしこむという意味あいが含まれているからです。 詩篇33篇18節にこのようなことばがあります。 「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」これは新改訳からですが、新共同訳では「見よ、主は御目を注がれる/主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」とあります。 この箇所を同じ33篇の13-15、そして18節とリビングバイブル訳でみてみますと 「人の心を造られた神様は、天のお住まいから全人類を見下ろし、一人一人の行動をつぶさに眺めておられます。しかし神様の視線は、神様を信じて従い、その変わらない愛に頼る者に注がれます。」とあります。 主なる神さまは、神を畏れている人々一人一人を眺めておられて、変わらない愛で最善を導いてくださるのです。 人は結婚によって家庭を持ちます。やがて、その家庭に新しい家族が与えられ家族が増えていきますが、そこでは、夫婦二人はもとより、新しい家族、与えられた子どもを通して、私たちが神さまの愛と御心を知る訓練の場所であるのです。 子どもたちを神さまがどのようなお方であるか知るようになる為には、まず私たちがその手本を示さなければなりません。子どもたちは一番身近な家族であり親である私たちの信仰を見て育ちます。私たちが神さまをいい加減に扱い、神の義よりも自分の義を大切にするなら、そのことを学ぶのです。神の義を第一にするには、私たちの神を敬う生活が、見本となります。ですから、神様の御心にそって育てていくことを大切にしていかなければ、子どもたちは神を敬うことも、親を敬うこともしなくなっていきます。御心にそって育てていくその第一歩が「主を恐れる(畏れる)」ことなのです。 今日の聖書箇所である詩篇112篇は、前篇111篇10節に告白されている「主を恐れることは、知恵の初め。」という原理を展開させたものです。真の幸いとすべての祝福は、主を恐れ(畏れ)ることにあります。 それでは主を恐れるとはどういうことなのでしょうか。 1 主を畏れるとは 詩112篇では、「主を恐れる者」を以下のようにいろいろな表現で言い表わしています。 1.「主の仰せを大いに喜こぶ人」(1節) 2.「直ぐな人」(2、4節) 3.「情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人」(5節) 4.「正しい者」(6節) 神さまの御ことばに素直な人は感謝ですね。素直さはとても大切な要素です。子どものような信仰、親を信頼し従う信仰は、幼いうちに養えば養うほど身についてきます。 それでは、具体的に、主を恐れるとはどういうことでしょうか。 2 主を恐れる具体的なこと 第一に家庭で聖書を開き、御ことばを教え自ら御ことばに聞く生活することです。 申命記の6章6-9節をご覧下さい。 「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」 子どもに教え込みなさい、という命令です。十戒の中で「あなたの父と母を敬いなさい」という戒めがあったのは、父と母が子どもに、主のおきてと定めを教え込むからです。使徒パウロも、この御ことばを思いながら、「主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6章4節)と勧めています。 もう一箇所聖書を開いてください。詩篇の119篇9-12節です。 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。主よ。あなたは、ほむべき方。あなたのおきてを私に教えてください。」 神さまの御ことばがあなたや家族を守ってくださるということを覚えましょう。 第二に家庭礼拝を守り、家族が心を合わせて祈ることです。そこから主を恐れることは始まります。 家庭礼拝の持ち方はいろいろありますし、その継続は難しさも伴います。けれども、その実行に「幸せな家庭」の建設の鍵がかかっていることは確かです。 「キリストは、この家のかしらなり、いかなる食事にも、見えざる客にして、いかなる会話にも、見えざる聞き手なり」という言葉がありますが、主を恐れる理由のひとつは、実は私たちの家庭の中にも主が共におられるからです。神さまがいつも家庭の中におられることを意識して生活することは、私たちの生きる姿勢を正し、同時に恵みの神が愛を持ってあなたの家族を祝福してくださるという約束を守り確かにその約束を守ってくださっている証拠なのです。 マタイの福音書18章19-20節にはこのようになります。 「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 そうです。夫婦二人が心を合わせて祈る中に、あるいは母と娘が心を合わせて祈るような、そのような中に主が共におられるのです。 「わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。」(箴言3章21) ある少年が歴史に残る立派な業績を残したいと思いました。それで牧師にその秘訣を聞きました。 「立派な人になるためにはどのようなことから始めたらいいでしょうか?」 その時牧師は少年に親切に説明してあげました。 「一日24時間の中で1時間だけ私が教える通りの行動をすることができますか?」 少年がそのようにすると言うと、牧師は少年に「一日に15分祈り、15分聖書を読んで黙想し、15分は他の人に神さまについての話をし、15分は愛を実践しなさい。そうすれば君の人生には明るい光が見えるから。」 少年はその時からこの教訓を行動へと移しました。そして彼は全世界を揺るがす人物になりました。この人こそビリーソンテー。世界的なリバイバリストの名前です。 知恵を守り心に刻む人とは、知恵によって人格を高め、抜きんでるようになって他の人たちから愛と尊敬と栄光を受ける人を意味します。知恵は私たちが罪悪やいろいろなこの世の誘惑を避けて安全な道へ進むように指示してくれます。私たちが全幅的に神に依り頼んで生きて行くときに、神は知恵によって私たちを導き、つまずきの石のように私たちの人生の中にやって来るすべての人生の難関と問題を解決させてくださいますから、私たちは安全に生きていけます。 皆さんは霊的な人になるためにあなたはどれほど努力していますか? その基礎を築く訓練の場が家庭礼拝なのです。 3 主を畏れることの幸いと祝福 詩篇112篇 では、「主を恐れる者」の幸いと祝福が次のように述べられています。 1.その人の子孫は地上で力ある者となる。(2節)・・・・すごい約束ですね。 2. 繁栄と富がある。(3節)・・・・これもすごい約束です。 3. 義が永遠に堅く立つ。(3節、9節)・・・・ 永遠に神と人々に覚えられ残るというのです。イエス様に香油を注いだマリヤの信仰のように。 4. 決してゆるがされない。(6節、7節)・・・・まわりに振り回されない。 5. とこしえに覚えられる。(6節)・・・・これも永遠にいのちの書に記されることです。 6. 悪い知らせを恐れない。(7節)・・・・神を愛する愛は恐れを締め出します。 7. 自分の敵をものともしない。(8節)・・・・ゴリアテと戦ったダビデのように。 8. 貧しい人々に惜しみなく分け与える。(9節)・・・・与える喜び、幸いを知っている人となる。 まとめになりますが、神が要求される、主なる神を恐れることは神を敬い尊ぶことです。 神は、神を恐れる者たちを教えられます。 聖書の、詩篇25篇12節に記されてあります。「主を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」 神を恐れる事は知恵をもたらします。 聖書の、箴言9章10節に記されてあります。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」 主を恐れることは、富みよりも、もっと価値があります。 聖書の、箴言15章16節に記されてあります。「わずかなものを持っていて主を恐れるのは、多くの財宝をもっていて恐慌(苦労)がるのにまさる。」 主を恐れる事は、子供たちの為に、避け所を供給する事です。 聖書の、箴言14章26−27節に記されてあります。「力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避けどころとなる。主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。」 さあ、今年の初めに決心しましょう。主を畏れ、敬い、愛する故に、主の喜ぶこと、神の義を第一に求める生活をすると。主は必ずあなたを良いもので満たしてくださる1年としてくださるでしょう。一緒にお祈りしましょう。
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