なにが大切なのか 

キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5章6節)

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(第一コリント13章13節)

きょうのテーマは、キリスト者として生きるのに何が最もたいせつであるかです。

ある日本の牧師がこのようなお笑いエッセイを書いておられました。

ある方が、「♪川の流れのように」 の歌を、ずっと変な歌だと思っていたらしいです。どうしてかと言うと、「♪かばのあくびのように」と聞き違えていたから。

お父さんとお母さんが喧嘩した。お父さんは「このバカモノ!」と言おうとして、「このケダモノ!」と間違って言ってしまった。喧嘩はいっそう激しくなった。

聞き間違い、言い間違いにはご注意という感じです。そういえばイエス様は大切な事を話される時、「聞く耳のある者は聞きなさい。」マルコ4章23節) とよく言われました。

皆さんの恋愛時代を思い出してください。愛する人のことばに真剣に、あるいはやさしいまなざしで耳を傾けていませんでしたか。きょうも、神様のみことばに耳を傾けましょう。

さて、皆さんはラルフ・パンチ博士のことをご存知でしょうか。博士は世界で初めての黒人としてノーベル平和賞を受けた方です。12才の時に病床でお母さんが彼の手を握ってこう言い残し病死しました。「ねえ、ラルフ、どんなに辛いときでも絶対に『信仰と希望と愛』を忘れてはダメよ、いい。」数週間後には床屋さんをしていたお父さんも亡くなり、彼は孤独の世界に取り残されました。ロスアンゼルスにいる祖母に引き取られ、中学、高校へとなんとか進みました。高校3年も終わる頃、奨学生の名前が発表される日がやって来ました。彼は自分の名前が呼ばれることに確信を持っていました。なぜかというと、クラスで一番の成績であったからです。ところがついに彼の名前は呼ばれませんでした。 彼の心は張り裂けんばかりになりました。いままで彼が経験させられて来た辛い人種差別の数々が走馬灯のようによみがえって来たのです。しかしこのとき、彼の中にもう一つよみがえって来たものがありました。それはかつてのお母さんの言い残したことばでした。「ねえ、ラルフ、どんなに辛いときでも絶対に『信仰と希望と愛』を忘れてはダメよ、いい」彼は怒りを鎮め、神様に祈りました。やがて彼は国連で立派な働きをし、ノーベル平和賞を受けました。本物のキリスト教とは「信仰と希望と愛」にほかなりません。

「愛によって働く信仰こそ大切である」と、今日のみことばは言っています。キリスト教は愛の宗教だと言われています。なぜなら、神は愛だからです。聖書のことばを紹介します。

「 不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。」(レビ記19章15節)

「 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6章5節)

 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。(マタイ22章37-40節)

 注:律法全体と預言者とは、ここでは旧約聖書のことを言っています。言い換えれば、神の戒めはこの二つの戒めに要約されるといっているのです。

愛こそが聖書が主張している最も大切なことです。どんな戒めも、愛を通しての目線で、言い換えればイエス様の目線で判断し、行動することが神のみこころです。

聖書には愛と訳されていることばがいくつか出てきますが、ヘブル語で書かれた旧約聖書では愛はアハバーといいます。これは心の中の楽しみのことを言います。あなたは自分の心を楽しませているでしょうか。

わたしは妻や娘や友人にプレゼントを買うとき、これを受け取ったらどう喜んでくれるか想像しながら、わくわくして選びます。ですから、そのショッピングの時間も楽しいものです。あなたは、家庭の中で、職場の中で、教会の中で、あるいは学校の中で自分の心を楽しませていますか。たくさん楽しみ、心を喜ばせることは、完全に神さまのみこころです。愛する者への行為は心を喜ばせるものです。人が喜ぶことを喜べる人は、どんなときでも心に喜びを持つことは容易いことです。

 次に、旧約聖書の愛にはヘセドーということばもあります。これは神さまと人とへの誠実や真実を指します。あなたが人に対して誠実であるとき、真実であるとき、その人を愛したのです。

 新約聖書で愛はアガペーです。これは命を捨てる愛です。あなたの一番大切なものは何でしょうか。あなたはそれを捨てることができますか。父なる神は、私たちの為にそのひとり子を与えられたのです。この愛によるキリストの贖いの死と復活は、わたしたちを罪の束縛から解放しました。こうして、信仰(神さまの約束を信頼して生きること)によって自由に生きられるようになったのです。これは神さまの一方的な恵みであり、愛なる神さまがあなたの為にしてくださったことなのです。

「最も大切なことは、恵まれない人々の面倒をみることではなくて、その人々を愛することです。」 とはマザー・テレサのことばです。
 1997年9月6日、マザー・テレサは、インド、カルカッタの自ら創設した修道院で亡くなりました。テレサの最後の言葉は、「もう息ができないわ」でした。文字通り、その人生の最後の最後まで、貧しい人のために、全てを捧げて、息絶えた87年の胸打たれる人生でした。 マザー・テレサは、インドを中心に活動していたがインド人ではありませんでした。彼女は、1910年、アルベニア人の両親のもとに、マセドニア(現在のボスニア地方)に生まれました。父は建築会社を共同経営する事業家でしたが、彼女が9歳の時に亡くなりました。本名はアグネス・ゴンハ・ボジャヒューといいました。 幼い頃から、信仰に興味があり、ボランティアなどもしていたアグネスは、18歳でインドの修道女のレポートの記事に触発されて、信仰に生きる決意を固めます。そして1928年、アイルランドの修道院で一年間修行した後、インドのダージリン地方にある、ロレッタ修道院へ移りました。それから少しして首都カルカッタに移り、地元のハイ・スクールで、教鞭をとり始めます。そのカルカッタでテレサは、貧しい人々(路上生活者や捨てられた子供たち)の苦しみを目の当たりにします。このことが、彼女の中で何かがはじけた瞬間でした。神を愛するものへの神のかたりかけの時でした。 1931年に、16世紀のスペインに実在した聖女テレサにちなんで「シスター・テレサ」と名乗るようになりました。1946年には、教職も辞して、本格的に貧しい人々のためにスラム街で働き始めます。そして二年後(1948年)には、ついにカルカッタに修道院(神の愛の宣教者会)を設立するまでになりました。この時に選んだ修道服が、後に彼女のトレード・マークともなる、青い横縞の入った、白い簡素なサリーです。1979年に、長年の彼女の功労が認められて、ノーベル平和賞を受賞しました。彼女は、当然のように、多額の賞金もすべて彼女の主宰するボランティア活動に寄付しました。その後、積極的にキリストの愛の使者として世界を訪問し、天国と地上に忘れ得ぬ人として永遠に名が書き記された人です。

また、アメリカにおいてこの教えを実践したバプテストの牧師にマーティン・ルーサー・キング牧師がいます。1955年アラバマ州モントゴメリー市において、キング牧師は、白人にバスの席を譲らなかったかどで黒人婦人が逮捕されたことに抗議してバス・ポイコット運動を指導し、この非暴カ抵抗運動の行動原理としてキリストの愛を強調したといわれています。「ぼくたちの行動は、ぼくたちのいだくキリスト教の信仰のもっとも深い原則によって、導かれなければなりません。愛こそぼくたちを導く理想でなくてはなりません。いま一度永い世紀をつらぬいてひびいてくる「敵を愛し、のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ」(ルカ6章27、28節)というイエスの言葉に耳を傾けなければなりません」(「自由への大いなる歩み」岩波新書)。この非暴カ抵抗運動は382日間続き、翌年合衆国最高裁判所はバスの人種隔離政策を違憲とみなす判決を下しました。黒人は社会的解放のみならず、「わたしたちは神様の前は例外として、もう一度白人に頭をたれようとは決してしないでしょう」というまでに精神的解放を手にすることが出来たのです。

 これらの例話は、偉大な信仰の人たちのことばであり、彼らだから信仰に生きた人生を送れたとのだと思われるでしょうか。わたしには、このような愛はないといわれるでしょうか。もちろん、あなたにはありません。けれども、あなたのうちにおられる神さまはあなたを通して愛となられるお方です。キング牧師もマザー・テレサも、同じ主が彼らの内で愛となられたのです。

イエス様はからし種ほどの信仰があったら、山をも動かせるといわれました。わたしたちに必要なのは神様に対する信頼、神のことばに対する信頼と行動です。小さなもので良いのです。小さなことに忠実な者は、やがて大きな事にも用いられように、神様はしてくださいます。私たちはもろい土の器です。しかし、わたしたちの内に生きられる方によって、わたしたちは朽ちない金の器になれるのです。どうすればよいのでしょう。答えは神さまのことばに従順することです。わたしの、思いや感情が伴わなくても、「あなたが、そうおっしゃるなら」と意思によって行動を起こすとき、神さまがあなたを通して働かれるのです。これが、愛の実践を伴う信仰」なのです。あなたは、神さまを愛していらっしゃいますか。愛していらっしゃれば、神様が喜ぶことをしようと信仰を行動に移すことができるでしょう。あなたの隣人とは誰でしょう。一番の隣人はあなたを愛してくださっている家族じゃありませんか。神さまは目に見える人を愛することの出来ないものに、どうして目に見えない神さまを愛することができるのか。とおっしゃられました。神を愛することと、あなたの隣人である家族を愛することは信仰の裏表なのです。ですから、皆さんにとっての愛の実践は、まず家庭の中からはじめられなければなりません。そうです、「過去を赦し、今をほめ、未来を励ます」愛によって・・・。なぜなら、それが神さまのみこころだからです。

わたしの願いは、それぞれの家庭を神さまが祝福されるのを見ることです。教会は神の家族です。あなたが神の家族の中でなす愛の行為、そして外に出て行って隣人に為す愛の行為は、「この小さい者のひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と、神さまを愛した行為としてイエス様が宣言してくれるのです。一昨年の秋のリバイバル集会で、人々を神さまのみ名によって祝福し、祈っていくと、わたしたち自身が神さまの祝福を受けるということをお話ししました。そう、与えなさい、そうすれば与えられます。」という神の国の原則にしたがって、あなたの蒔いた良い種は、あなたに返ってくるのです。

精神分析で有名なフロイトは、その晩年に「人間にとって健康とは?」と質問され、「愛することと働くこと」と答えました。健康な状態とは、誰かを愛すること、つまり誰かを信頼し、必要とすること。そして、働くこと、つまり誰かに必要とされることだと言っています。

みなさんは、母として、父として、子として家族に必要な存在です。

わたしの家内は脳梗塞で倒れた後、6年間は自由がほとんど利きませんでした。自由に話すことも出来ず、しばらくは右半身がほとんど動きませんでした。その為に、階段から滑り落ちたこともしばしばありました。少し体が回復したとき、わたしに神さまから、アメリカでの邦人伝道への召しがありました。家内は健康に不安を持っていましたが、私たち日本人が第2次大戦中迫害した韓国人の牧師が、TNでの日本人の救いのために、私たちを招聘しようと懸命に働いていることを知り、主に従う決心をしました。その時、わたしの内に「アメリカに行ったら、主は家内を癒してくださる」という確信が与えられました。家内はアメリカに来て、わたしがフルタイムで神さまの奉仕をするようになって、本当によく祈ってくれるようになりました。その祈りの中で、「神さま、わたしが主人の足手まといになったり、役に立たないようでしたら、いつでも召してください。」と祈るのです。わたしには家内が必要です。家族が必要です。たとえ離れていても、家族がいるから元気づけられ、背後でとりなしの祈りがなされているから宣教の働きが出来るのです。私たちは互いになくてはならない存在です。

最後になりますが羽鳥明先生の著書「今日の知恵、明日の知恵」にあるメッセージを紹介してお祈りしたいと思います。

「力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。」(箴言14章26節)

「うまくいっている家庭は天国のよう、うまくいっていない家庭は地獄のよう」ということばがあります。母親と心を一つにし、がっちりと力強く子どもを守り教え、家庭を守る父親。夫を信頼して従い仕え、子どもを愛しはぐくむ妻。子どもも両親を信頼し、何くれとなく家のことも手分けして分担する。――そんな祝福された家庭は、天国です。世の中でさまざまなことがあり、人生でいろいろな試練に会う時の避け所です。そこには安心があり仰ぐべき模範があり、慰めも励ましもあり、希望がわいてくるのです。

しかし今は、権威を失った夫。いらいらして子どもを勉強、勉強とむち打つ母親。「めし」「ふろ」「何言ってやがんでぇ」の三ことしか言わない息子。――みんな勝手に自分の好きなことをやっている、てんでんばらばらの家庭が多いと聞きます。父親は権威どころか、子どもに対して発言権さえ失い、何か家庭に大変なことが起こると、簡単に行きづまってしまうのです。

しかし、私は提案したいのです。夫は、心から神に心服し信頼し、神を恐れ、妻も夫に従って、心を合わせて神を信頼し従うことです。神が愛して自分を受け入れていてくださるように、互いを愛し受け入れてください。毎日、たとえ十分・二十分・三十分でもよいから、朝一日の初めに、夜一日の終わりに、夫婦が心を合わせて神の愛と真実のことばである聖書を読み、与えられた子どもの一人一人を意識し、そのよいところを認めて感謝し、一人一人の子どものために祈ってみてください。そのように主を恐れ、主を信頼し、互いに信頼する時、家庭は力強い愛の要塞・平安の港・人生のエネルギーのわき出る泉とならないでしょうか。聖書は、このことを言っていませんか。そのようにして築かれた力強い信頼の家庭こそ、天国のひな型となるでしょう。

神さまはあなたを必要としておられます。あなたを通して神さまの愛の業が行われるのです。神さまの目にはあなたは高価で尊い存在なのです。なんと幸いなことでしょう。

愛によって働く信仰は、神からくるものです。神さまに期待し、イエスさまの目線で人々と接しられるようになるよう祈りましょう。神さまはあなたの人生を豊かに祝福してくださいます。

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