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変わることのない神がいるから 聖書箇所:ヘブル人への手紙13章1〜8節
[新改訳] ヘブル人への手紙
13:1 兄弟愛をいつも持っていなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
13:4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。
13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
人にとって大切なものそれは思いやりですね。
昨日は日本語集会からクリスマスの朝に17名ものボランティアが子供から大人まで奉仕してくださり感謝しています。皆さんが、家族のいない家のないホームレスの方々の為に時間を捧げられことは主にしたことです。とてもうれしく思います。この方々の中から、一人でも多くの方々が生活の基盤を築き、来年もシェルターで会うことのないように続けてお祈りください。
今日は、M9という大きな地震がインドネシアのスマトラ島沖で発生し、津波による被害がインド洋に面する多くの国で報告されています。すでに1万人を超える死者が出ているとニュースが流れています。この被災地、ご家族の為にもお祈りしましょう。
さて、今日の聖書箇所ですが、1〜6節には兄弟愛のことが語られていますが、互いを思いやる愛が兄弟愛と言えるかも知れません。主にある家族として、家族の中での思いやりがとっても大切です。この手紙が書かれた当時、教会に対して外部からの迫害がありました。ですから、「兄弟愛をいつも持っている」というのは、迫害の中において、それぞれがで困難があるのだから、兄弟の間でお互いに困難を持ち込まないでお互いのことを思い執り成しあうことです。苦しみの中にあって、私たちの間にはなおさら一体感が増します。そして、互いに熱く愛し合うことをさらに求めています。自分のことを分かち合い、さらに相手に何をしてあげようかと主にあって考えるようになるところに兄弟愛があります。
また、「旅人をもてなしなさい」とありますが、これも人を愛する行為、思いやる心に他なりません。当時は、教会を巡回する伝道者や預言者がいました。彼らは、神さまから任じられて、教会を建て上げるために奉仕をしていました。ですから、そのように主に仕えている人々を、自分の家に招き迎え入れることは迫害下にあっては大変な行為でしあり親切でした。私たちも、自分たちだけの家、自分たちだけの家族、自分だけ、というような、個人主義から解放されて、互いに持て成しあうところに教会の兄弟愛の姿があります。イエス・キリストにある者たちは、みんな人との関係を嫌がらないところの愛を持っています。
次に、「知らずに、御使いをもてなした」とありますが、創世記で主の御使いを持て成したアブラハムのことを思い出します。彼は三人の人を家に迎えましたが、彼らは御使いでした。ですから、旅人であるからといってあしらうことをせず、むしろ、主が送ってきてくださった方として、もてなすことが大事なのです。今日も、教会を訪れる人々を持て成すこと、また皆さんのところに来られる人々を持て成すことは、神が覚えられる愛の好意なのです。ですから、喜んで旅人をもてなしできるように主に願い、祈りましょう。あなたも持て成し上手にきっとなります。人が訪問したいと思われる家は、それだけでも祝福があります。
そして、「牢にいる人々をもてなす」のですが、当時はこれは信仰のゆえに、牢に入れられた人々が沢山いなした。ですから、これらの人々のことを言っています。「自分たちも肉体を持っているのですから」とあるように、私たちは、牢獄での生活がいかに辛いことであるかを自分にも肉体があるのですから、容易に想像できます。自分が自分の体を大切にするように、牢にいる人々も思いやりなさいという勧めです。ここでも、執り成しや励まし、慰めが求められています。その人の立場に自分の身をおいて考え、現状を祈り、励ますのです。
さらに続いて、クリスチャンが気をつけなければいけない、二つの戒めがあります。それは家庭の平和と祝福のために与えられたものです。
一つは、不品行や姦淫についての警告です。性交渉は、結婚の中のみで祝福され、聖なるものとみなされます。婚前交渉、婚外交渉は神の怒りを招きます。言い換えれば祝福を受けないということです。何故なら、これは家庭を崩壊する大きな要因だからです。
寝床を汚してはいけない、という戒めの次は、金銭を愛してはならないという戒めです。ここで大切な事は、「いま持っているもので満足する」ということです。いま与えられている所得、いま与えられている財産で満足することができる心を持つことです。金銭を愛することの一つの要因に、将来や現在の状況に対する「不安」があります。この先、どのようにして生きればよいかと思う不安は、私たちの理性を麻痺させて、さらに金銭を集める事に駆り立てます。教会の中でもそのような不安を持っておられる方がいると思います。そこでこの手紙の著者は「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」という神さまの約束を確認しながら、貧しいときにこそ、主がご臨在が確かに約束されていることを忘れてはいけないことを語って励ましています。神さまの前に「心の貧しい者は幸い」なのです。その人は主を求めるからです。私たちは確信に満ちてこのように言いましょう。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう」と。
主が助けてくださるから、私は人間を恐れないとのことです。これは、とっても大切な教訓です。私たちが、神の真理から離れて、この世に妥協してしまうのは、必ず人を恐れる恐れがあるからです。私たち日本人は、人がどのように思っているかという環境に囲まれていますので、いつも人の目が気になります。いわゆる世間体です。このことが、日本では「おれおれ詐欺」にも巧みに利用されています。アメリカでは絶対起こらない詐欺事件です。しかし、日本では後を絶ちません。世間の目が気になる日本で、周りがどのように思っているのだろうかという恐れが常にあるので、このような戦いがあるわけです。
こんな話があります。作者は不詳です。
タイトルは「神にインタビュー」です。
神様にインタビュー
「神様、私達を見て、何に一番驚かれますか?」
神様は答えました。
「そうね。人間は子供時代を嫌って早く大人になりたいと思っているようだが、大人になると子供に戻りたがる。それが不思議だ。」
「それから、健康を害するほどお金儲けに精を出し、病気になって その金を浪費する。これもまた、不思議だ。」
「まだあるよ。将来のことを思い煩うあまり、今の生活を楽しむことを忘れている。その結果、将来にも今にも住んでいない人が多い。」
「それからね。他人を強制して、無理に自分を愛させることなんかできないよ。できるのは、自分が愛される人間になることだけだよ。」
「それでは神様、私達に何を願われますか?」
「他人と自分を比較するのもよくないね。」
「日々、許しを実行して、許しという芸術を実につけた人になってほしいね。」
「人の心に深い傷をつけるのは、たったの数秒間。その傷をいやすのには何年もかかる。これも知って欲しい。」
「豊かな人とは、一番たくさん物をもっている人のことではなく、必要とするものが最も少ない人のことだよ。」
「自分を愛してくれている人はたくさんいる。ただ、その人たちは愛の表現方法を知らないだけ。これも学んで欲しいね。」
「同じものを見ても、二人の人は違った見方をするということも知って欲しい。」
「隣人を赦しただけではまだ不十分だよ。自分を赦すことも学ばないとね。」
最後に神様は微笑み、こう言われました。
「わたしはいつも、そばにいる。これを知って欲しいね」
わたしが、昨年よく着ていた背広が、今年は窮屈になりました。中野先生が「ブレザーが窮屈そうだ。」と言ったように、少し太ったのです。家内が昔のわたしの写真と今を比べて、「昔はこんなにスマートだったのに、お父さん。・・・・・・・・・・」と、私の体型のことを気にして言います。ところで、私たちの周りで、いったい変わらないものがあるでしょうか。ファッションは少し前にはやっていたと思いきや、今はもう流行遅れになっていたり、家電製品などは、特にそのモデルチェンジが早いです。今人気のデジタルカメラなどは、大型家電店ではあまりの種類の多さに、製品を選ぶのにも一苦労です。その上、世の中はめまぐるしく変わっていきます。いつまでも変わらないものなど、一つもありません。
このように、 私たちを取り巻く社会、価値観がめまぐるしく変化し続けています。私たちの理解を超えたスピードで情報が動き、私たちの理解を超えた事件や出来事が毎日のように起こり、私たちを驚愕させます。私たちの置かれている環境や状況は、日々変わっていきます。移り変わるのは、人間の営みだけではありません。人の心も、様々な事柄の影響を受け、変化して行きます。愛し、愛され、憎み、憎まれ、傷つけ、傷つけられ・・・。そうです。人の心も変わります。いや、私たち自身が一番よく変わるのではないでしょうか。昨日こう言っていたと思ったら、きょうは全く違うことを言ったりするのですから。(最近、私たちもひどくなってきています。物忘れが・・・。) 私たちは、一体何に拠り頼んだら良いのでしょうか。変わらないものは一体何でしょうか。聖書は私たちに告げます。
7,8節のみことばをご覧下さい。ここには、教会の指導者に従うことの勧めが書かれています。
「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。」(7節)とあるように、 この章には、指導者に従うことの勧めが二つあります。この7節と、17節です。神に忠実な敬虔な指導者の信仰の足跡にならっていくことは、大切な事です。自分ではどのようにしてキリストに従えばよいかわからないことも、指導者がキリストにしたがったその姿を見て、従うことができます。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(8節)
そして、この節が続きます。 この個所は、キリストにならっている指導者は、キリストがいつまでも変わらないように、その生活に一貫性があるということです。ある時にはこう言い、またある時にはまた違うことを話すような人ではなく、周囲がどんなに変わろうとも、いつまでも変わらず、真実の言葉を話している人ということになります。神は変わらない方ですから、自分たちの都合によって神のことばを変えてはならないのです。旧約聖書の預言者はどんな状況に置かれても、神のことばを正しく伝えなければなりませんでした。それは、教会に立つ人にとっても同じです。クリスチャンはルターのことばを借りれば万人祭司ですから、皆さんも神に仕える者として同じ立場に置かれているのです。
黙示録の最後の章にこのようなことばがあります。
「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。」(ヨハネの黙示録 22章18節)
私たちは、愛の故に、正しいことは、日本人的なまわりの人々がどのように思うかではなく、神がどのように思われるかを考えなければなりません。言うべき事を語っていって、教会が聖なる集まりであることを証ししていかなければならないのです。それも律法からではなく、キリストにある忍耐と愛を持ってです。結果は神に委ねます。そうすれば神がそのことの上に働かれ、神のやり方で、すべてを明らかにしてくださいます。
私たちには、変わらない方がおられます。この方にあれば(つながっていれば)、私たちはこの世に流されることは決してありません。罪(Sin)の支配に押し流されることはないのです。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
イエス・キリストは変わらないお方です。しかし、私たちの側にも大きな変わらないものがあります。生まれながらの人間が持っている性質です。
たとえ時代が変わろうとも、社会が変わろうとも、変わることなく人間を支配し続けるもの、それが私たち人間が持っている罪です。巧妙にその姿を変えつつも、この罪の影響によって、私たちの周りには問題が絶えることがありません。この罪は私たちの良心を蝕み、互いに対する信頼を破壊し、人間関係の破滅を生み出します。
イエス・キリストが十字架で負った苦しみは、2000年後に生きる、現代の私たちをも、この罪の鎖から解放するためでした。私たちが自分ではどうすることも出来ない私たちの罪を、イエス・キリストが背負って、十字架上で死んで下さいました。そして、復活したイエス・キリストは、今も私たちを愛し、私たちを助け、私たちを罪から救い出して下さるのです。今も生きておられるキリストは、あなたを愛し、あなたを救おうとされています。 私たちは、生活の中で、様々な試練に合い、気持ちが塞ぐことがあります。時には、神様はもう私を見放されたのかと思うようなこともあります。しかし、神様は、変わることなく私たちを覚え、愛していてくださいます。
あなたは、この不変の愛を傾けてくださるキリストをご存じですか。あなたの状態がどうであっても、命を捨てるほどあなたを愛していてくださるキリストをご存じですか。ぜひ、キリストの愛に触れてください。あなたの生き方は変わります。
最後にひとつの詩を紹介しましょう。
あの、「足跡」という詩を書かれた、マーガレット・F・パワーズさんの詩です。これは、旅の途中で竜巻に襲われた時に書かれたものです。九死に一生を得た後、恐れで震える手で書き綴ったものです。今回の津波のような突然の災害でした。
ある友からの手紙
どんなに、わたしが、あなたのことを心にかけているか、
そして、どんなに、わたしのことを、
もっと、あなたに知ってもらいたいと思っているかを伝えたくて、
わたしは、今、この手紙を書いています。
あなたが、けさ、目ざめた時、
わたしは、さんぜんと光り輝く日の出を、窓越しに見せて、
あなたの注意を引こうとしました。
しかし、あなたは。急いで去ってしまいました。
そのあと、わたしは、
あなたが友人たちと話しながら歩いているのを見つけました。
わたしは、あなたに、暖かい日光をいっぱい浴びせました。
そして、大気中に、自然の甘美なにおいを漂わせました。
しかし、あなたは、急いで去ってしまいました。
わたしに、気づくこともなく。
それから、わたしは、大竜巻の中で、あなたに叫びました。
わたしは、あなたのために、美しい虹を空に描きました。
その時、あなたは、わたしをちらっと見ました。
それでも、なお、あなたは急いで去ってしまいました。
その夜、わたしは、月の光を、あなたの顔にこぼし、
冷たいそよ風を送りました。
あなたを休ませ、あなたの恐れを取り去るために、
わたしは眠っているあなたを見守っていました。
あなたと同じ思いを味わいながら・・・・・。
あなたは、かすかに、わたしがすぐそばにいることに気づきました。
わたしが、あなたを選んだのです。
わたしは、あなたに、特別な使命を与えています。
あなたが、すぐに、わたしに話しかけてくれることを願っています。
わたしが、あらしの中からあなたを救い出したのです。
他の人たちは、暁を見ることはできませんでした。
わたしは、いつも、あなたのすぐそばにいます。
わたしは、あなたの友です。
あなたをこの上なく愛しています。
あなたの友、イエス
お祈りしましょう。
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