幻のない民は滅びる

今日のタイトルは箴言29章18節のことばです。

[新改訳]  箴言                     
29:18 幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。
[新共同訳]  箴言                     
29:18 幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。

この最初の箇所をキング・ジェームズ訳ではWhere there is no vision, the people perish.」と訳されており、これを日本語に訳せば「幻のない民は滅びる」です。

聖書翻訳は原点である聖書から、文脈を正しく理解し、それぞれの国においてそれを意味することばに翻訳されます。ですから「ほしいままにふるまう」ことは「堕落する」ことであり、結果ニして「滅びる」ことになります。  「ほしいままにふるまう」とは、自分の欲望に歩むということです。それは、肉の歩みであり、肉の行き着く先は死であり、聖書はそれを永遠の滅びであると断言しています。終わりの時代、神は教会をふるいにかけられます。教会とは、キリスト者のことですから、神はクリスチャンをもふるいにかけられるというのです。信仰が本物かどうか、試みられ、ふるいにかけられ残りの者を選び分かたれるのです。

マタイの福音書25章に花婿を出迎える10人娘のたとえをイエス様が弟子たちに話されました。この箇所は「天の御国」のたとえの一つ、そこで5人は賢い娘で、5人は愚かだったと言われます。備えをしているか、いないかということです。その後にすぐタラントのたとえが続きます。あなたが、神から預かった賜物をどのように用いたかが評価されるというのです。しかし、結論は「この小さな者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」と、あなたが、キリストの愛に促されて生きた日々の小さな愛の歩みを主は評価されるのです。

主が、すべてのことをイエス・キリストの名にあってと言われたことばに、いつも心をとめるならば、おのずと私たちの日々の生き方は変えられていくのではないでしょうか。

箴言29章18節は、この後に「律法(神のことば)を守る者は幸いである」と書かれています。Raleighの日本語集会のことしの年間聖句は「 みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(箴言16章20節)です。

これは29章18節のことばと同じ意味です。心を留めるとは、それを覚えて生きることであり、みことばを守ることです。

あなたが、小さいときにお母さんと何か約束したことを思い出してください。お母さんが「今日は、帰りが遅くなるから、お米だけ洗ってたいておいてね。約束よ。今日はあなたの好きなプチケーキを買ってくるわ」と言って、仕事に出て行ったとします。夕方、あなたがお母さんことばを覚えていて、ごはんを洗ってスイッチを入れることが、ここで言う意味です。

 それから、週報の表紙には、私が赴任してきた当初から、「マラナタ」ということばが挿絵と共に書かれています。これは「主よ、来たりませ」という言葉であり、復活信仰、主の来臨を待ち望む者のことばです。初代のクリスチャンたちはいつも、食卓を囲み感謝の食事と共に、主の晩餐のことばを覚えていたことばです。
 また、表紙の挿絵は、イエス様がカペナウムでマルタとマリアの家を訪問され、みことばを語られているときの姉妹を描いた絵です。この聖書の箇所を開いてみましょう。ルカの福音書10章38節から42節です。

[新改訳]  ルカの福音書             
10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

 このマリヤが、イエス様の受難の死の匂いをかぎとり、イエス様に「ナルドの香油」を注いだのです。ですから、今年の年間聖句と挿絵にはメッセージが込められているのです。今年、この挿絵を選んだ理由は、毎週この週報を受け取りながら、イエス様が今、Raleighの教会に願っていることを知ってほしいとの思いからでした。静かにみことばを聞き、主と交わる時間を持ってほしいという願いです。

さて、北大(北海道大学)の前進である、札幌農学校に赴任した学長のクラーク博士は、“Boys! Be ambitious!"(青年よ!大志を抱け!)という言葉を残して日本去りました。このことばは、同校の学生であった内村鑑三や新渡戸稲造たちの心を鼓舞したばかりでなく、明治、大正、昭和を通じて日本の青少年への大きな励ましのことばとなってきました。しかし、今の日本では、このことばは急速にすたれつつあります。青年だけではありません。それは日本全体の姿でもあります。ある意味で、日本は危機の状態にあり、多くの魂が行き場を探して、さまよっています。

 今年は昨年にも増して、さらに多くのビジネスマンが自殺をしてます。最近ではビジネスマンばかりなく、中高生、大学生の間にも自殺が増えているようです。そのため、日本人の(特に日本人男性の)平均寿命は大幅に縮まっています。7月に発表された警視庁の資料では、昨年の自殺者数が、過去最悪の3万4千人に上っています。毎年小さな市町村が日本から一つずつ消滅していると考えれば、3万4千人という数がどれほど大きなものであるかが分かります。その内訳は、次のようになっています。

病気やアルコール依存症などの「健康問題」(1万5416人)
経済・生活問題 (8897人)
離婚など「家庭問題」 (2928人)
仕事がうまくいかないなど「勤務問題」(1878人)

 この資料で特筆すべきは、経済・生活問題が原因で自殺した人の数が、前年より12%(957人)も増え、伸び率が最も高かったことです。50代男性が8897人の中の34%、40代男性も20%と高率で、働き盛りのサラリーマンの死は心が痛みます。どこにも行き場のない、寂しさを感じます。国や地域社会の無力さを感じます。

 人が人生の目標、生きる目的を見失ってしまうことは「ビジョンの喪失」です。人は目的、生きがいを見失ってしまいますと、自ら命を絶つのです。反対に、価値があり、必要とされているとわかると希望が湧いてきます。愛されているとわかって来ると、元気が出てきます。

先日から、サラリーマン川柳に興味を持ち、日本で奮闘しているサラリーマンの心境を読み取りながら、祈りと宣教の必要を、さらに覚えて祖国の為に祈り始めています。

サラーリーマン川柳をいくつか紹介いたします。これらの、入賞作は皆さんの票によってきまるのですから、これらの作品は多くの人たちの共感を呼んでいるということです。

月イチで 戻る我が家に 席はなし

今日もまた レンジと会話 妻は留守

地球より 家庭にほしい 温暖化

働けど 稼ぎはすべて 学費行き

コストダウン さけぶあんたが コスト高

知りません それは私の担当外

ボーナス日 裏を返せば返済日

これらの川柳はサラリーマンの思いですが、今、教会も、この世に影響され、サラリーマンたちが感じている同じ空気が流れているように思います。ですから、教会に、“Christians! Be ambitious!" (クリスチャンよ!大志を抱け!)と声を大にして叫びたいと思います。

詩篇121篇をお読みします。

[新改訳]  詩篇                      
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

聖書の神は「あなたは、わたしの目には高価で尊い、わたしはあたたを愛している。」と言われます。皆さんは、この神様に愛されている民です。ですから愛するお方に、目を上げましょう。

初めに「幻のない民は滅びる」と言いました。これを、ビジョンを失った人は滅びる」とも言い換えることが出来ます。このことばは、聖書にあることばですから、神を信じる民に語られたことばであり、旧約では「ビジョンを失ったイスラエルの民は滅びる」、そして新約の時代に置き換えれば「ビジョンを失った教会は滅びる」ということになります。

しかし、神は、「みことばにこころをとめる者は幸いを見つける」と言われるのです。

箴言29篇18節をイエス様のように前向きにとり、ことばを変えれば、“Where there is vision, the people prosper."になります。「幻のある民は栄える」ということで、「ビジョンを持つ人は多いに成功する」ということになります。

ビジョンのある人は生きがいを持っている人です。その人はいつも青年のようです。サムエル・ウルマンの「青春の詩」の中にある「青春」という詩があります。「青春の詩」は、サムエル・ウルマンが70代で書いたものです。彼は1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人両親の長男として誕生。両親とともにアメリカに移民し、後半生をアラバマ州バーミングハムで過ごしたウルマンは、教育者として、またユダヤ教のレイラビ(精神指導者)として、実業家として幅広く精力的な活動をし、晩年になって数編の詩をつくりました。実はこの「青春の詩」は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の詩です。彼はこの2年後84歳で召されました。それでは、紹介しましょう。

青春

青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。

薔薇の面差し、紅の唇しなやかな肢体ではなく、

たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老はしない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増やすが、情熱を失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

六十歳であろうと、十六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、

おさな児のような未知への深求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。

人から神から美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、

二十歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、

八十歳であろうと人は青春にしていまだ巳む。 (作山宗久 訳)

YOUTH  Samuel Ullman

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

   Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease.  This often exists in a man of sixty more than a body of twenty.  Nobody grows old merely by a number of years.  We grow old by deserting our ideals.

   Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul.  Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

   Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living.  In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

   When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

ウルマンは、青春とは「人生の時期ではなく、心の持ち方をいう」と言っています。私たちも、いつも青年でありたいものです。私たちには世の終わりまで共にいると言われた神様が共におられます。ですから、弱くても強い者です。何よりもイエス様に愛されています。年を取ると誰も愛してくれないと言われますが、主は愛して下さっています。そして、多くの教会に連なる家族がいるのです。愛されていることを信じましょう。そうすれば私たちは素晴らしい人生を送ることができます。

イエス様に教会の希望を置き、イエス様に人生の希望を持って歩むなら失望させられることがありません。聖霊は思いのままに吹くと聖書は言います。神に信頼する人に聖霊をそそぎ、神に希望を持つ民の所へと神は出向くのです。そして、その人を支え、希望が失望に終わらないように、確かに成就してくださるのです。

詩篇37編5節に、「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇 37篇5節)との約束があります。主にのみ期待して歩みましょう。主イエス様にあって、ビジョンを確認し歩んで行きましょう。お祈りいたします。