讃美の回復 

今日の聖所箇所:詩篇100篇4節
「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ」

昨日は、日本人クラブ主催のピクニックで太鼓のパフォーマンスがありましたが、そこで永渕光恵姉と勝呂麻理姉がすばらしい演奏を披露してくださっていました。旧約聖書の中には、主を讃美するときに銅鑼(どら)やシンバルも使われていたことが書かれてありますが、太鼓で主を讃美することもすばらしいなと思いながら聞いていました。

聖書の中には、あなた方は何をするにもイエス・キリストの御名によって心からそれをしなさいとあります。イエス様はどうして、十字架の犠牲まで払われて、わたし達を贖ってくださったのでしょうか。それは、神の子として、その召しにふさわしく、「世の光、地の塩」として生きるためです。希望の使者として召されたのです。いのちのことばである福音の使者として召してくださったのです。

長野県にまばたきの詩人といわれた、キリスト者の水野源三さんという方がおられました。

水野源三さん(1937-1984)は、重度の障害を負いながら、4冊の素晴らしい詩集(ポエム)を残した奇跡の詩人です。

水野さんは小学校4年生のときに、赤痢になり、目と耳以外の機能を全て失ってしまいました。まばたきだけで、わずかに意志を伝えるだけの暗黒に突き落とされてしまったのです。彼を支えたのは、彼の母親に不自由な足にも負けずに伝道に励んでおられた宮尾牧師が送られた聖書だったのです。それから水野さんは、「ちいろば先生の」の榎本牧師に出会ったことをきっかけにして、神様を讃美する詩人となっていったのです。源三さんの信仰を育てたものは、ラジオのキリスト教番組「世の光」や「ルーテルアワー」、そして数々のメッセージやゴスペルミュージック、講演会、聖書通信講座などのテープでした。

 源三さんの詩をいくつか紹介いたします。

 喜びの歌を--弱さの中からの讃美

 親しき友人が皆 別れていくときも
 一人ではない 一人ではない
 死んでよみがえられた
 イエス・キリストが話し掛けたもう
 その耳で聞けよ
 頼りなき 
 自分に失望するときも
 一人ではない 一人ではない
 死んでよみがえられたイエス・キリストが
 励ましたもうその口でたたえよ。

 水野源三さんの詩には、主イエスに捕らえられ、救われたという喜びが溢れています。多くの人々の祈りと愛によって、キリストに明け渡された人生を歩んでおられました。私たちもまた、新たに生かされて、あふれる讃美の喜びに満たされて歩んでいこうではありませんか。

 主よ わが家にもお立ち寄りください  1982

 主よ わが家にもお立ち寄りください
  弟夫婦は
  忙しく働いていますので
  何もおもてなしできませんが
  そこにおあたりください
  この炬燵(こたつ)ぶとんは
  多くの方々の
  愛のこもったものです
  これをお読みください
  この寄せ書きは
  多くの方々の
  祈りのこもったものです
  主よ 私を愛して祈ってくださる
  多くの方々に
  惠と平安を
  ゆたかに与えてください

苦しまなかったら  1972

もしも私が苦しまなかったら
 神様の愛を知らなかった
 もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら
 神様の愛は伝えられなかった
 もしも主なるイエス様が苦しまなかたら
 神様の愛はあらわれんなかった

 さて、今日は「讃美の回復」と題して、わたし達の内に讃美と感謝があふれる人生を送るため土台を、もう一度振り返ってみたいと思います。今日のみことばは「讃美の衣」のメッセージと一緒に覚えて読んでいただけると幸いです。

 讃美とは一体なんなのでしょうか。わたし達は、毎週礼拝において讃美歌やワーシップソングを歌っていますが、讃美とはそれを歌うことなのでしょうか。歌うことであるとすれば何をそこで歌っいるのでしょうか。聖書辞典を調べてみると讃美とは、

1.  神の無限なる性質と神への絶対的な信頼

2.  神の恵みに対する信仰者の応答であり,感謝のささげ物

3.  神の偉大さと,その至高善の人格とを認めること

4.  すべての栄光は当然神に帰属するものであると認識し,これを告白すること

5.  賜った恵みへの感謝

であるということが書かれています。神を神と認めること、全てを支配している神を見つめること、神をしっかりと見上げること、その神に信頼すること、それが讃美だというのです。そして、キリストこそ讃美を受けるにふさわしい方だと言われています。キリストが神であり、私たちの全てを、全世界を支配している御方、私たちが信頼すべき御方、信頼して大丈夫な御方であるということです。

神を讃美することは、私たちは神から力を得ることになります。わたしたちは、神を賛美するのですが、神は賛美の贈り物として感謝や喜びをわたしたちのものとしてくださるのです。

旧約聖書の詩篇は、このような神を讃美することばに満ちていますが、旧約聖書の書かれたへブル語では、ハーラル「ほめる」,ヤーダー「感謝する」,シャーバ「ほめる」,バーラク「祝福する」,ゼミール「賛美する」,アーナー「歌う」,ラーナン「叫ぶ」,ギール「喜び楽しむ」という言葉が讃美のことばを意味することばとして使われています。

さあ、これらのことを覚えながら讃美はどのような中から起こってくるのかみことばに耳を傾けましょう。

1. イエスキリストを信じ、キリストの福音持った者には、次のようなことが起こります。

 (1) あなたの人生の目的の答えを受けます。そして、キリストのよきおとずれを教え、守り、宣教する証し人となります。

[新改訳]  マタイの福音書  
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」


 (2) あなたの考えが変わります。どのような状況においても喜ぶことができ、感謝と祈りと持つものへと変えられます。

[新改訳]  テサロニケ人への手紙第一 
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 (3) あなたの生活と行動が変わります。見分ける知恵が与えられ、本当に良いものを選び取り、悪を避けるようになります。

[新改訳]  テサロニケ人への手紙第一 
5:19 御霊を消してはなりません。
5:20 預言をないがしろにしてはいけません。
5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。

 もし、あなたの人生に、このような変化が起こってこないなら、あなたの信仰を点検してみる必要があるでしょう。車で言えばオイル漏れによってブレーキが利かなくなったり、潤滑油が働かなくて様々な故障で止まってしまうような状態です。定期点検する必要があります。とても、危険な状態です。

あなたは、救われた頃(キリストを信じた頃)の初めの愛から離れていませんか?もう一度、十字架を見上げましょう。十字架の愛は、あなたを初めの愛に連れ戻してくれます。

2. 答えを受ければ、そこから神に対する真の告白が出てきます。

(1)神の恵みのゆえに、感謝するしかありません。問題が起こっても、神の前に持っていくことを心得ており、祈りと感謝を持って委ねることができます。主が最善をなしてくださることを知っているからです。

[新改訳]  ピリピ人への手紙 
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。
4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

(2)言い尽くしがたい神の愛とめぐみのゆえに、賛美するしかありません。神はあなたの人生の経験を全てを益としてくださり、あなたにとって神の最善を備えられるからです。

@ イエス・キリストにあって喜ぶこと、感謝すること、祈ることは、主を讃美することに他なりません。

[新改訳]  テサロニケ人への手紙第一 
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 Aここでは囚人として鎖につながれ牢に入れられていながら、主に感謝と讃美、祈りをしているパウロとシラスがいます。

[新改訳]  使徒の働き     使徒 16:19-32
16:19 彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
16:20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、
16:21 ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
16:22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、6:23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
16:26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
16:27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。
16:29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。16:32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。

3. そして、最後に生活の中で賛美が回復します
(1) あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。(詩篇22篇3節)
 つまり、キリスト者であるあなたや、クリスチャンの集会、礼拝の賛美の只中に住まわれるということです。

(2) 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。詩篇 100篇4節)

 神の宮は祈りの家と言われていますが、そこに讃美と感謝をもって自由に入って行けるようになります。キリストの贖いによって、罪の赦しを体験した者だけが入れる聖所です。

(3) サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。(第一サムエル 16章13節)
 聖霊があなたを満たされるということです。旧約の時代は神の選びの人々しか聖霊の満たしを体験しませんでしたが、惠の時代に生かされているわたしたちは、キリストの故に「求める者には、溢れるほどの満たしを体験するのです。

(4) わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。(イザヤ書43章1-22節参照)
 ですから、キリスト者は神のみを誇り、神の前にへりくだった者、砕かれた者として神の栄誉を宣べ伝えるようになるのです。

(5) 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。(使徒の働き16章19-32節参照)
 どんな、境遇にあっても満ち足りることを知り、祈りと賛美が心の奥底から湧き出してきます。また、どんな境遇にも対処する秘訣を知ります。

(6) 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。(エペソ 5章19節)
 そして、神の霊に満たされた、神の民として互いに語り、心から主を賛美する歌が歌える者と変えられるのです。

一人のオペラ歌手の証しを紹介します。

スエーデン生まれのジェニー・リンド(1820-1887)はイギリスのオペラ界で人気絶頂のプリマ・ドンナでした。彼女は名声や人気を得れば得るほど、それは移ろいやすい虚しいものであることを感じ、それに歌謡界の競争、嫉妬、陰口、陰謀などで疲れ果てていました。

ある晩、静かな裏町を歩いていると、一軒の家の窓辺から温かい灯りがもれ、きよらかな合唱が聞こえてきました。それは讃美歌の歌声でした。その家では家庭集会が開かれていたのです。歌い方は決して上手ではありませんでしたが、彼女の心には今まで得られなかった安らぎを感じ、引き寄せられるようにしてその家に入っていきました。それがきっかけとなり彼女は翌週から教会に通い始め、やがて永い間、求めていた喜びと平安を見出しました。今後は神のためにのみ歌いたいと願い、オペラ界から引退しようと決心しました。それをマネージャーに申し出ましたが、ドル箱敵存在で多額の興行収入を稼いでいましたので、何度頼んでも聞き入れられませんでした。そこで彼女は一計を案じました。ある晩、舞台でドラマが進行してゆき、オーケストラの前奏に続いて、彼女が最も得意とするところを歌うシーンにさしかかりました。彼女はその場面で立ったまま沈黙することを決め込んでいました。皆が驚いて狐につままれたように感じている時、突然彼女は静かに讃美歌を歌い始めました。歌い終わってから、こうするより仕方がなかった事情を話し、今後は神様のために歌いたいと言って了解を求めて、静かにステージを去って行きました。会場は騒然となって怒り出す人もあり、感動して感涙にむせぶ人もあり大きな衝撃を与えたと言うことです。

新聖歌の349番に「移りゆく時の間も」という讃美歌があります。この曲はリナ・サンデルの詩に、オスカー・アーンフェルトが曲をつけたものですが、この詩を書いたリナ・サンデルは1832年10月3日、スウェーデンのフロデリッドに、その町の教区教会の牧師の娘として生まれました。子供時代は虚弱であったため、友達と遊んで過ごすよりも、父親が学ぶ傍らで過ごすことが好きな少女でした。26歳の時、ゴーセンバーグへ旅行する父親に同行した時、目的地に到着する前に、悲劇が起きました。船が突然ガクンと揺れて、リナの父は、水中に投げ出され、愛する娘の目の前で水死してしまったのです。

 彼女は、この悲劇的経験の前から讃美歌を作詞していたのですが、この後、彼女の傷ついた心からは、キリストに対する、単純で子供のような信頼と、彼女の人生にキリストの変わらぬ臨在が伴っている確信を反映した、より多くの讃美歌が生まれ出てきたのです。

 19世紀後半にスカンジナビア半島を飲み尽くしたリバイバルの波は、このリナ・サンデルが作詞したたくさんのすぐれた讃美歌に負うところが大きいといわれています。

 ヨシュア記の1章9節に 
 「恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1章9節)

あなたの行くところどこにでも主がいてくださる。このような詩です。

  静かな晩に、あなたの心の扉をたたくのは誰?
  傷つき痛む者に、癒し和らげるバルサム油を持ってくるのは誰?
  あなたの心は、今なお不安。世の楽しみでは平安を見いだせない;
   あなたの魂は、今なお渇いている。天の宝を手に入れて自由になりたい。

 ジェニー・リンドは、これらの心温まる讃美歌をしばしば歌いました。彼女は、世界的に知られたプリマ・ドンナでしたが、普通の労働者とともに、粗末な座席に座って、彼女が愛し、仕えた救い主についてのこれらの単純な讃美歌を、しばしば歌ったのです。

 いかがでしょうか。彼女の歌う讃美歌をお聞きしたいと思いませんか?あなたの、口に主への賛美が生まれ、信仰が回復され、喜びと感謝が沸き起こる人生となりますようお祈りいたします。