キティホークとライト兄弟に想う                                                                                                  先日、 日帰りで、The Outer Banksへ行って来ました。毎年夏に、トランペッターの戸部豊氏とご家族が、私たちの宣教支援の為に来てくださるからです。私のアメリカでの最初の宣教の地であるTNに駐在されていたクリスチャンの姉妹の紹介で、初めて我が家に訪問してくださってからもう6年になります。その時から互いの行き来が始まり、私たちが帰国した時には、東京の自宅へおじゃまし、楽しい家族の交わりを持たせていただいています。そこでの家庭集会は、帰国された方々と再会出来る場であり、私たちにとっては大きな喜びの時です。訪問してくださるようになって2年目の年から、演奏会や礼拝でのご奉仕だけでなく、一緒につかの間の休暇を取るようにしています。忙しい奉仕のスケジュールの中で、ほっと息を抜ける時間を持ってもらいたいと考えたからです。昨年はアパラチア山脈のあるNC州のAshvilleなど、山側を訪問したので、今年は、ライト兄弟の初飛行で有名な、キティホークのある大西洋のThe Outer Banksへ行くことにしていました。 ところが、この日は前日にハリケーンが近づいていて、すでに強い雨風もあり、どうしようかと迷っていたのですが、1泊2日の予定を変更して、日帰りで行くことになりました。 The Outer Banksまで64号線はバイパスが出来ているのですが、途中から市街を走らなければならないので、片道4時間かかる道のりです。キティホークのある島に渡る橋は、距離も長く、晴れ渡っていれば景色も雄大で、フロリダの7マイルブリッジを思い出します。島の手前にあるサービスエリアは、ライト兄弟の初飛行100年を記念して新しく造られ、設備も随分整っています。そこで、持参したおにぎりの昼食を取って、目的地へと向かいました。

島に渡ると、大型ハリケーン「チャーリー」の接近と共に、まだ交通の便の不便さもあって、旅行者はそれほど多くありませんでした。そんな中で、日帰りではありましたが、ゆっくりとライト兄弟のメモリアルパークを見学し、ゆったりした時間を海を眺めながら楽しむことが出来ました。帰りの豪雨との遭遇以外は、天候も恵まれ感謝な一日でした。

ところで、ライト兄弟の父親が牧師であったことは案外知られていません。また彼らは5人兄弟で、ウィルバー(1867〜1912年)は三男。オービル(1871〜1948年)は四男でした。
 子どものころにゴム動力の模型ヘリコプターをもらい、それがきっかけで大の飛行機好きになりました。飛行機に興味を持っていた二人は、自転車業によって貯めた資金を航空の研究に注ぎこみながら、当時手に入る限りの本や文献を読みあさりました。その中で最も大きな影響を受けたのが『飛行機械の進歩』という本でした。ワシントンにあるスミソニアン研究所に頼んで送って貰ったものです。 この本の著者のオクターブ・シャヌート(1832〜1910年)という人は、当時、航空知識の普及に関して最も貢献したアメリカ人でした。シャヌートはウェンハムの古典的な論文「空中移動」を初め、航空に関する文献を数多く収集すると共に、それらを集大成して1894年に『飛行機械の進歩』を書いたのでした。

 この本を読んだライト兄弟は、著者のシャヌートに自分たちの考えを書いた手紙を送って教えを乞いました。それに対してシャヌートは助言を与えると共に、兄弟を強く励ましたのです。この激励こそがライト兄弟を成功に導いた秘密でした。

 ライト兄弟が初めて飛行機をつくったのは1899年8月のことでした。それは2つの主翼を持ち、後方には水平安定板をそなえた凧でした。上下2枚の複翼をつなぐ何本かの支柱のうち左右両端の支柱にはひもがつないであり、それを地上から引っ張って翼の形状をねじ曲げるようにして一種の操縦操作をするようになっていました。

 この凧を、兄弟は繰り返し飛ばして実験と研究を重ね、少しずつ飛行機械の概念を絞りこんでいったのです。そして1900年9月、人の乗るグライダーを作り上げました。翼は複葉で、スパン17フィート。操縦方法は前年の凧の実験から得られた結果にもとづいて、人の操作で一方の翼端の湾曲を増すと同時に、他方の湾曲を減らすことにより機体の水平を保ったり、バンクしたりするような仕組みにしました。

 彼らは、この飛行機(フライヤー)をノースカロライナ州にあるキティホークに運びました。この地が選ばれたのは、ワシントンの気象台に相談することによって、強い恒風のあることが分かったからです。グライダーの試験飛行は10月いっぱい続けられ、兄弟は自分たちの考えが間違っていないことを確認しました。

キティホークの砂浜にフライヤーを運んだ兄弟は、コイン投げで飛ぶ順番を決めました。勝ったのは兄ウィルバーでしたが、最初のテストは失敗。3日後の1903年12月17日、オービルが操縦するフライヤーは風に向かってレール上を走って離陸し、12秒間、高さ3メートル、距離37メートルの初飛行に成功したのでした。この日、兄弟は4回飛び、最後にウィルバーが59秒間で260メートルの記録をだしたのです。

このように、ウィルバーとオービルの2人が子どものときからの関心を深めつつ研究と実験を重ね、多数の先人たちに教えを求め、激励を受けながら、用意周到に準備を進めていったのです。

私は、ライト兄弟が牧師の家庭で育ったことを知ったとき、牧師という父親の職業がら、いつも聖書のことばによって知恵と訓戒を得ていったのではないかと益々確信を深めました。

そんなライト兄弟の記念塔から大西洋をながめながら、100年前の初飛行に思いをはせ、主を讃美していました。

 旧約聖書にある「箴言」の2章1〜6節にこのように書かれています。

[新改訳]  箴言                     
2:1 わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、
2:2 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、
2:3 もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
2:4 銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、
2:5 そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。
2:6 主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。

目標を持って信仰生活を歩むことについて、韓国の著名な牧師のダビデ・チョー・ヨンギ博士はその著書「365日のマナ」の中で、このように語っています。

人間が一日、一日を生きて行く時、その日の目標を設定する事は大きな意味があります。また、ひと月、一年、更には一生の目標をどう定めるかによって、その生活は豊かで意味あるものにもなり、また、それが成功を招く鍵にもなります。
 
 イエスを信じる私たちが、この世の人たちと違う生活をしながら放縦にならないのは、はっきりとした目標があるためです。神の国にあずかるという未来の輝かしい目標があり、これが現在の私たちをして、義を求めさせ、畏れさせます。マックスウェル・マッス博士が「人間は目標を追求する機械である」と言った様に、人間は絶えず目標を追求する様に創造されました。ですから、目標を失った人は、心理的に、肉体的に壊れてしまったことになり、死んだ人と変わりないのです。それでは、どのような目標を持てばよいのでしょうか?私たちは全て、究極的で永遠に連なる目標を持たなくてはなりません。それは、イエスを信じることです。人が何処から来て何のために生き、何処へ行くのか知らない人は、究極的な目標を知らない人です。こう言う人はお金をたくさん儲け、よい環境の中で暮らしている様に見えても、本当の喜びを味わうことが出来ません。

私たちは、私たちの人生を支配する為の永遠なる目標を設定し、同時に現実的な目標も立てなければなりません。朝目が覚めて、その日にすること、その月、或いはその年にしなければならないことを計画して、手帳に一つ一つ記録しなくてはなりません。そしてその手帳を見ながら計画された日課表に皆さんの心や考えの焦点を集めながら仕事を推進して行くのです。この様に生きて行くなら、エネルギ―の消耗も小さく、能率的に働く事が出来ます。また結果的に大きく豊かな実を結ぶことが出来るのです。

ですから、皆さん方の現実を支配し、輝かしい明日を迎える為に、イエス・キリストの中で永遠なる人生の目標を得なければなりません。そして神に仕え、栄光をお返しする事を皆さん方の目標にして下さい。これを土台にして、毎日毎日の生活やぶつかって来る問題に対処する計画を立てましょう。

目標を立てて、その目標に向かって絶えず前進しましょう。必ず、目標に到達する事が出来ます。

いつも皆さん方の心の掲示板にはっきりとした目標の光を輝かせ、その光に従った生活の方向に向かう時、皆さん方の人格は変えられ、運命さえも変えた人になれるのです。

あなたも、人生の目的、目標をもって歩みませんか。それほど、目の前に目標を置くことは大切なことなのです。

1903年12月にライト兄弟が初めて飛行に成功した飛行機械は単に「フライヤー」と呼ばれていました。フライヤーは、エンジン以外はほとんど木と布で作られていました。それにワイヤーを張って必要な強度を保ちました。エレベータ、撓(たわ)み翼、方向舵は全てワイヤーでコントロールされていました。