「ふきのとう(春の到来)」と「キリストの受難(パッション)」

 先日、 TNから引越しのときに庭の畑から持ってきたふきから、「ふきのとう」が出ているのを見つけました。
 ふきはキク科フキ属の日本原産の植物で、北海道から九州まで、全国の山野に自生しています。冬に黄色の花を咲かせるところから「冬黄」といわれ、それがつまって「ふき」といわれるようになったそうです。
 このふきは、日本では全国に分布しています。地方によって種類の違う物が生えていますが、どこでも見受けられるもっともポピユラーな山菜です。道端、野原、川筋、土手、あらゆるところに自生しています。少し湿気のあるところを好み、沢筋などにはより多く見受けられます。雪の下で冬を過ごし、春になると真っ先に芽を出す「春告げ山菜」です。早春に芽を出す「ふきのとう」は花の蕾で、花が終わると葉がでてきて伸び始めます。葉は地上からまっすぐに伸びて、丈は1mぐらいまで成長します。葉の大きさは、30〜50cmまでになります。この葉柄を「ふき」、花茎を「ふきのとう」とよんでいます。

この「ふきのとう」と呼ばれるふきの花芽は、春の季節を表現する食材として日本料理には欠かせない素材となっています。古くから食用に利用されてきており、独特な芳香と苦味を香辛料として使用したり、北陸地方では雑煮に入れる習慣もあるようです。現在は早春の食材として、てんぷら、和え物に広く利用されています。今年は我が家でも恵みを感謝して、てんぷらでいただく予定です。

昨年、家族がNCに移ってから、日本人の教会員の方が、やはり庭の畑にふきやミョウガを栽培しており、収穫のときに沢山教会に持ってきてくださりおいしくいただきました。ここでは、TNに比べて永住しておられる日本人が多く、自宅で多くの日本の野菜を栽培しています。以前、Wilmingtonに住む友人から、野沢菜をいただいたときにはさすがに驚きました。また、高菜が観賞用のプラントとして売られていたのにも驚きました。

 ところで、この季節になるとアメリカの教会ではイースターの様々な行事が行われます。そんな折、今年は俳優のメル・ギブソンが監督、脚本した「パッション(The Passion of the Christ)」が話題を呼んでいます。この映画はキリストの生涯最後の受難の12時間を、今まで描かなかった鮮明な描写で描いたものです。世界中で物議をかもし出していますが、公開前の幾つかの質問に対して製作側は以下のようにコメントしています。

「キリストの受難」は反ユダヤ主義ですか?

  ポール・ローアー氏(ギブソンのイコンプロダクションのスポークスマン)は、次のように述べています。「メルは反ユダヤ主義を憎悪します。彼の信仰は、決して、憎悪,狂信,反ユダヤ主義を是認せず、キリストの死をユダヤ人のせいだと非難するものでもありません。」

「キリストの受難」はキリスト教信者のためのみでしょうか?

 2003年の3月のインタビューでメル・ギブソンは述べています。「ガンジーは大ヒットだった。しかし、その映画はヒンズー教徒のためだけではありませんでした。この映画は皆のためにあります。信仰者であろうとなかろうと、イエス・キリストが、すべての時代の最も重要な歴史上の人物であることに疑いの余地はありません。」

この映画はその配給を、キリスト教の受難節に合わせています。アメリカでこの時期に「パッション」を公開したことは、現在記録的な大ヒットをしている理由のひとつでしょう。今年は4月11日がイースター(復活祭)で、2月25日の「灰の水曜日」から受難節(四旬節)に入っています。世界中どの教会に行っても、この時期はイエス・キリストの受難について書かれた聖書を読み、教会の礼拝における説教でもキリストの受難について話をしています。アメリカで「パッション」が公開されたのは2月25日で、これはまさに「灰の水曜日」にあてての公開だったわけですね。

 聖書の語る福音は、この受難とキリストの復活が最も大きな意味を持っています。

 ですから、世間がこの映画をどうのように批評するかよりも、私にとっては、キリストの受けられた受難が、実は私が受けるはずの罪の代価であったことの方がずっと大切です。受難を受けられているイエス様が「わたしは、これほどまでにあなたを愛していますよ。」と語っておられるのです。イエス様の時代も、イエスについて世間はエリヤだの預言者だのと様々な評価があったわけです。しかし、イエス様はペテロに対して「あなたはわたしを誰だといいますか」と質問されました。ペテロは「あなたは、生ける神の子キリストです」と答えています。

 旧約聖書のイザヤ書にキリストの受難の預言的記述があります。紀元前8世紀に書かれたものです。この聖書の箇所は「苦難のしもべ」とよく言われます。52章12節〜53章13節までです。

52:13 見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。

52:14 多くの者があなたを見て驚いたように、・・その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。・・

52:15 そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。

53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。

53:2 彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

53:11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。

 イザヤ書は旧約聖書中、最も多く新約聖書に引用され、そのメッセージは極めて福音的です。このようにキリストの生涯が預言されていることから「第5福音書」とも呼ばれています。あの有名なヘンデル作曲の「メサイヤ」もイザヤ書から、その歌詞が取られています。

 キリストのパッション(受難)が、わたしやあなたの為であったことを知るとき、あなたの人生にキリストが来られるでしょう。