自分を知り、違いを知る幸い

NC州に移り住んで、我が家でも身近に蝉が見られるようになった。TN州では「13年蝉」といって、13年に一度異常発生する蝉の大群に遭遇した年があった。ここでは庭に池があることもあって、蝉にトンボ、蝶など多くの昆虫を見ることができる。また蝉だけでなく、蛙も池に卵を産み、自宅でおたまじゃくしを飼っている。昆虫やおたまじゃくしを追いかけた子供の頃が思い出される。

ところで、日本の夏では蝉の声が風物詩のひとつである。しかし、ヨーロッパでは緯度の関係で蝉がほとんどいないそうだ。蝉の鳴き声を聞くことがないのである。ヨーロッパ人にとっては蝉の鳴き声はイライラする雑音、騒音以外の何者でもないそうだ。日本の映画やテレビ番組がヨーロッパに輸出されるときには、蝉の声を消して別の音を入れると聞いたことがあったが、先日あるテレビ番組でそのことが事実であることを知った。「静けさや、岩にしみいる蝉の声」、と松尾芭蕉が詠んだ俳句が、いったいどこまで理解されるものだろうか。私たちの日本人の育った文化や生活環境で植えつけられた習慣、価値観や情緒などは簡単には崩れないし、また崩す必要も無い。しかし、違いを理解してもらう為の努力は惜しまずにささげるべきだと思う。

私たち日本人が、海外に住んで恥ずかしく思うことの一つは、自分も含めて日本人としてのアイデンティティーがあまりにも低いように感じることである。いざ、日本のことを人に説明する段になると、知らないことがあまりにも多い。我が家も、アメリカに住むようになって日本の文化や歴史などの書物が随分増えた。日本にいてほとんど関心の無かった、茶道や華道、歌舞伎などの古典芸能のことを学ぶ機会も多くなった。日本に帰国したときには、ディスカウントの古本屋をよく訪れ、沢山の書籍を持ち帰ることが多い。ニュースや文化番組にも関心を持ち、いつも日本の今をキャッチするよう心がけている。

世界中の様々な国の人たちに出会って、やはり日本の話をする機会が多い。私のように海外に来てから、日本のことを勉強する人たちも沢山いる。特にアメリカに留学したり、ホームステイする学生達にお願いしたいことは、近代、現代の歴史を良く学んで来てほしいことだ。そのことが、外国の異文化の中で、特に様々な国の人たちが住むアメリカにおいて随分役立つことだろう。また、多くの違いのある生活習慣で育った人たちと交わることを通して、学ぶことが多く、自分中心の考え方から、違いのある相手の立場を考え、理解する機会が与えられる。これは、良いチャンスでもある。神は「主にあって、すべてが益となる」と言われるが、経験は必ず役立つし、それを他の人たちの為に生かすことが出来れば幸いだ。「自分を知り、相手を知る」そうした相互理解の中で、人間関係を築き上げることは聖書の大切なメッセージである。

「良きサマリヤ」として知られるイエスのたとえの中で、「強盗にあった人の隣人とはだれか」と質問されたイエスに「その人に良くしてやった人です」と答えた当時の宗教指導者は、律法も愛に基づくものであることを指摘された。先入観で人を見ずその人とかかわることを通して人々を判断するものでありたい。自分を知り人を知る努力は、隣人を愛することにつながる。「あなたの隣人を愛しなさい」