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A PERSON WHO HAS NO FIRE IN HIS
HEART 先日、このことばを読んで、それは今の私のことだろうと思いました。日々、心から火が消えて行くのを感じていたからです。そんなタイミングで中野雄一郎師が巡回伝道で来られました。Raleighでの集会に引き続き、一緒にMemphisに同行しました。必ず教会から宣教の為に戻って来ると言って、別れの挨拶も出来ぬまま後ろ髪を引かれる思いで後にした地でした。心は再び燃えました。なつかしさ以上に、それは、会衆に渇きがあったからでした。みことばが信徒の心に喜びの内にスポンジのように吸い込まれるのを感じたのです。事実そうでした。それぞれが、人生においていろいろな苦難を抱えておられますが、励ましを受け、主にあってしっかり立って歩んでおられる様子を直に見、以前から集っていた兄姉が一人も欠けることなく、無牧の中でもさらに受洗者が与えられていることに励ましを受けました。信徒の信仰が成長しているのをみることほど嬉しいことはありません。 Memphisは必ず訪問しますからと約束して、実現したのが2年ぶりでした。それも中野先生と一緒の巡回が最後でした。そんな私を、変わらぬ愛で迎えてくださり、口々から出た言葉が、「先生、また来て下さい。絶対来てくださいね。待っています。幸ちゃんも一緒に・・・」でした。中野先生から後日電話で、「皆さんはあんなにあなたたちを慕っておられる。彼らはわたしにではなく先生たちに来てほしいのですよ。月に一度は無理かも知れないが、2ヶ月に一度でも訪問してあげなさい。先生たちを待っておられますよ。」と言われ、行くことは無理と思っていた距離が随分近くなりました。今回の訪問で日曜日の午後から月曜日の移動が無理ではないことがわかりました。家内から、私の心の炎が消えないように心配して押し出された今回のTN訪問でした。 ふと、3年前の無牧であったRaleighの教会を訪れた日のことを思い出しました。信徒は無牧の中で一生懸命、信仰生活を守っていました。その姿に励まされ、「先生、一緒に伝道しましょう。」と言われた信徒のことばを覚え、何か役に立ちたいと祈りだしたのがきっかけでした。それは、秋の巡回伝道の時で、巡回する各地の兄姉の顔に喜びと、期待に溢れていました。 待っていてくれる人がいるときに、無理をしてでも行きたいという感情がこみ上げ、思いを描き実現します。そのようにして、ミズーリーやケンタッキーまで足を運びました。もちろん、健康に気を使ってくださりながら、送り出す教会の祈りがありました。 TNでは、家内は、日本を遠くはなれて留学している学生の為に何十人分もの豚カツを揚げ、カレーを煮込み、炊飯器とお米を持たせて私を送り出しました。車で片道7時間あまりかかる道のりでした。一人での旅でしたが、家内と心はひとつでした。遠くで来る日を待ちこがれている、そんな心を見るとき、いても立ってもいられない熱い思いを持ったのです。 人は必要とされていることを知っているとき、生きがいを感じます。しかし、必要を感じなく思えた時、士気が落ちていきます。心も青年のような思いから老人のように衰えていきます。 ふと考えにふけりながら、部屋を見回すと、「・・・but with God all things are possible.」(Matthew19:26)のみことばが目に留まりました。スミルナ第一バプテスト教会の献身的なアメリカ人姉妹から贈られた額縁の中のみことばを見て、「そうだ、私には出来ないが、主はお出来になる。この思いも感情もすべて主に委ねよう。」 JOY COMES BY PUTTING JESUS
FIRST,OTHERS SECOND, AND YOURSELF LAST. 「そうだ、主を喜ばせ、他人を喜ばし、そのことを喜びにしているMinistryは主が祝しておられるではないか。 遠くではなく、近くにあるあなたを必要としている人が大勢いるではないか。」そんな主の声が聞こえました。
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