思い違い 「目には目を、歯には歯を

NHKの人気番組のひとつに「ためしてガッテン」という番組があります。このガッテンは「合点が行く」とういことで「納得する。承諾する。事情をよく理解する。」という意味のことばからきています。英語でいう“understand、comprehend.”であり、反対に「合点が行かない」は“disagree”です。

せっかちな人がする失敗に「早合点する」“jump to a conclusion.”ことが良くありますね。私もそんな失敗をした経験が何度もあります。失敗の多くは分かっているつもりが分かっていない「思い違い」から来るものが随分多いです。

聖書に書かれている良く知られて言葉の中にも、日本においては、聖書が語っていることから随分意味の違うことばに理解されているものがあります。そのひとつが、今日の「目には目を、歯には歯を」です。

一般には、この有名な言葉は単に「復讐すること」を表している言葉であるようにとられています。しかし実は、これは復讐を制限した律法なのです。

「えっ!!そうなの」「そうなんですよ」
イエス様は新約聖書のマタイ福音書のなかで、弟子たちにこのように言っておられます。

 「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。」(マタイの福音書5:38-42 )

注:1ミリオンはおよそ1.5kmの距離です。

 イエスが生きられていた当時、聖書と言えば旧約聖書でした。ですからここでの聞いているというのは、「モーセの律法にある神の言葉として、あなたがたは知っていますね。」というニュアンスです。

このことばが書かれている旧約聖書を実際に見て見ましょう。レビ記の24章です。

「・・・人に害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ害を受けねばならない。」(レビ記24:19-20)
 
もし、皆さんが、何も悪いことをしていないのに、片目をつぶされたとしたらどうでしょう。相手の目を片方仕返しして、つぶしたぐらいで気が済むでしょうか。むしろ殺してやりたいぐらいに思うのではないでしょうか。「目には目、歯には歯」どころではすまないのが人間の気持ちではないでしょうか。
 この旧約聖書の「目には目を、歯には歯を」という律法は、自分が受けたダメージ以上の復讐を禁じる律法です。復讐を奨励した律法なのではなく、復讐を制限する律法なのです。ですから、人を殺したらその人も同じように死刑となる、人の骨を折ったら、その人の骨も同じように折られることになる、傷を負わせられたら同じような傷を相手も負う。しかしそれ以上の復讐を禁じるものなのです。そして、そのように民を指導し裁判をせよと、モーセの律法には書かれているのです。

ですから、実行不可能で不思議に思えるイエスの言葉も、そう考えると律法の意味を正しく理解すると見えてくるものがあります。

頬を向けることも、上着もあげることも、一緒に2ミリオン行ってあげることも、最初は相手がした行為、あるいは要求です。それにに対して、後の行為は、主導権を持っているのはあなたなのです。イエスはここで、積極的な愛に基づく生き方を分かりやすく「たとえ」を用いて語っておられるのです。そして、この言葉は聖書のことばで「黄金律」と呼ばれる言葉につながるものです。

 マタイの福音書7章12節です。「何ごとでも,自分にしてもらいたいことは,ほかの人にもそのようにしなさい」

ここには人間関係の本質が最もよく語られていますね。そしてその黄金律の根底になるものとして、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(レビ記19章18節)という戒めがあるのです。イエスがその戒めを具体的にしかも積極的に語られたのがこの黄金律なのです。そんな理由で、「目には目に、歯には歯」という言葉を神の愛に基づいて理解してください。ガッテン!!